連綿と続くもの〜気多大社で感じたこと〜
皆様、いつもありがとうございます。御朱印巡りをスタートした兄弟にもゆくゆくは役に立つと良いなと備忘録・思い出として記録しています。
彼は自分も不思議体験をしたり、UFOを小学生の頃に見たりしているのに、不思議話やオカルトは信じない(信じたくない?)タイプです。いつかはこの書き溜めた記事を伝えようと計画的に考えています(笑)。
たまにふと思うのですが、神社やお寺がこれほど長く続いているのは、
人の心のどこかに神仏を「信じる気持ち」があって、
やっぱり最後のさいごには、
【神や仏などいない!】
【信じるものか!】
と思っていた人でも、どこかふっと神様を信じる気持ちが湧く場面もあるのではないかな?
揺り動かされる場面があるのではないかな?
と感じます。
それは「奇跡」と呼ばれる体験かもしれないし、どうしても被ってしまった不幸な境遇や辛い体験を通じてから見いだすものかもしれない。
一つの過程として、体験するというような。
そして、だからこれほどまで救いや願い、祈りを受け止める場として、神社やお寺が取り壊されたりせずに昔から続いてきているのかもしれないなとふと思うことがありました。
やっぱり人が心の中で念じる力は強く、「岩をも通す」じゃないけれど、信念や意思、やり遂げようとチャレンジする姿や己に打ち勝つ姿を神仏は見守っているのかもしれない。
と、考える時があります。私はご神霊の声がハッキリバシバシ聞こえるタイプではないので、どんな感じかは判りませんが、 感覚的には、何か静かに見守っていらっしゃるような、
「見ていらっしゃる」
そんな感覚になる時があります。
今まで、各地の神社をお参りした中で特に畏れ多く印象的だった場所が、石川県にある「気多大社」、の中にある「太玉神社」でした。
こちらのお社は、鳥居を入りしばらく進んで、確か右側にちょっと入った場所にあるのですが、いつものようにお参りしようと、近づいていき視界にお宮が見えた瞬間、あまりの気の強さに(気多大社だけに(^^))、足を止めてしまった場所でした。
あ、、、
こちらは、、、これほどまでの空気感、、、
この先は進むには、、、と
とにかく身体に空気と共に感じる強いご神気に(みえない空気の圧力があるような感じでした)、神様の前に歩を進めることが申し訳なくなるような、鋭い、確かに不浄を祓う強さの空気、ちゃらちゃらした気持ちでお参りしてはならないような、と表現したら伝わるでしょうか、
ちょっと表現するに難しいのですが、とにかくお宮の雰囲気と空気が強かったのです。
これは今から10年ほど前のことなので、今の感じがどのような雰囲気かは判らないのですが、とにかくすごい強い気が発せられていまして、
(お参りするには畏れ多い場所のような、、申し訳ありません。)と、
顔も真正面に上げて相対することさえ、申し訳ないような、とにかく強いご神気を感じながらのお参りとなり、
歩を進めることさえも、一歩一歩。
(申し訳ありません、失礼致します、
お参りさせて頂きたく、すみません、
失礼致します×ループ)
心の中はまさに土下座するかの如く、より丁重に丁重に、なんとか参拝させて頂いた場所でした。
ちょっと不思議体験になるかは分かりませんが、思い出して書いてみました。
神仏にはこの気持ちを忘れずに向き合いたいなと思っています。
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