守り神との暮らし〜民俗学・現象の考察〜

元巫女助勤経験者による不思議体験伝承日記

呪術の動画を見て感じたこと

冷抹茶が美味しい季節です。

呪術の動画を見て感じたこと

皆様、ご訪問ありがとうございます。

読者登録もおかげさまで増えていて、ニッチなテーマではありますが、マニアックな内容でも読んでいただけることや、何かあの世にほっと想いを馳せていただけるような機会となっていましたら幸いです。

 

と「ほっと想いを馳せ」と書いたところで、本日のテーマはこちらが浮かび、ほっとできるか微妙なテーマとなってしまいましたが(笑)、何か皆様の発見、機会に繋がれば嬉しいです。

 

 

さてこの世界、霊的能力を知り、神仏探求や道を探求していると、必ず出会うテーマがあります。それが、

・光(の力)

・闇(の力)

 

・呪い(まじない)

・呪い(のろい)

 

西洋で言うならば、

・白魔術

・黒魔術

と表現するかと思います。

 

たまたまYouTubeで色々見ていたら、その中で「呪詛」を扱う人物に密着取材されている動画に出会いました。勉強のため、私は危険そうでなければ見るようにしており(※)、その取材もある程度は大丈夫だろうと判断し、見てみることにしました。

※動画からも霊的影響が来た時があった為

 

 

すると、その呪術を扱う呪術師に依れば、

・年間1000件の依頼

と私の想像を超える依頼件数が挙がっており、

 

(え!年に10件の間違いではなくて?!)

 

 

と驚くばかりでした。紹介されていた依頼内容も多岐に渡り、悔しくて依頼する場合、度重なる恫喝からどうにもならなくなり、ある種身を守るために依頼する場合、などなど、少し紹介されていただけでもさまざまな背景があるのだなと、しんみりするばかりでした。

 

何故しんみりしたかと言うと、複雑だからです。

 

まず、私の感覚で察知していることとして、呪術を行った場合、ただでは済まないからです。

 

・ことをなすには何事も、対価が要る

・それが「善意の願い」「悪意の願い」であれ

 供物や対価が要る

・特に「呪い(のろい)」で力を使う(術者が使わせていただく)場合、術者の身の保証、来世、あの世の安全保証がない

・対価は術を行使する際の霊的存在との「契約」で、心身のどこかを奪われる(なくす)パターンもある

 

このようなパターンがあるため、やはり

 

・なにかと引き換えに

・命と引き換えに

 

それほどの覚悟、被ること、何かをなくすこと。

これらを踏まえた上で。。。というものになることなのです。

 

自分をなくしていく行為

 

と表現すれば分かり易いでしょうか。

 

 

もちろんプロの呪術師、術者ならば被らない術を実施された上で実行されるのだろうと思いましたが、神様方はこのようなケースをどうご照覧されているのか気になりました。

 

 

霊的能力は「人を救うためにある」ならば、

筋の通った呪詛は◎なのか?

 

ここへのハッキリした回答は考察中ですが、

一部私なりの答えを考察すると、

何かを奪う、傷つける行為=NG

になるのではないか?と浮かんでいます。

 

何故なら、以前、瞑想した際にあらゆる潜在意識と繋がる次元に到達した際、

 

自分の意識(魂意識)

=世界のあらゆる存在とのつながり

 

と察知した瞬間があったためです。

反対にいえば、

 

他者を傷つける、奪う

=自分を傷つける、奪う

 

ことをしているのと同義なので、遅かれ早かれ

自分の心身にそれが返るのです。

これが、「業(カルマ)」と呼ばれる仕組みだと自身の体験から考察しています。

 

また、

他者に親切にする、優しくする

=自分に親切にする、優しくする

 

ということなので、似たような「親切で優しい現実」が巡り周ってくるということではないか?と考えています。

もちろん生きていれば、腹が立ったり、許せない!と思うことも誰しもあります。

そこから意識をそらし、楽しみを探すことに焦点をあてる方法で浄化する。あるいは、

怒りに震える自分、それをも否定せず、一旦認め、ある程度納得いくまで自分の中で考察、向き合い分析していくことで乗り越えられる場合があるかもしれません。

 

 

いずれにせよ、私たちは「向上、成長」を大切に、時には休み休み楽しみながら、

今いる「自分の位置」から1cmでも2cmでも発展向上していくことを忘れずに歩むことが大切なのかもしれません。

徒然と書きましたが、お読みくださりありがとうございました。

(書いていたらベランダ側から「ドン!」と壁を叩かれ警告されたのでここでやめます(苦笑))。

 

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自分が太刀打ちできない霊的存在を知った日◆

自分が太刀打ちできない霊的存在を知った日

皆様いつもありがとうございます。

今回は濃い内容をお届けできるかと存じます。

これは2024年の今年に起きた出来事です。

※「太刀打ちできない存在」というのは、現時点で、自分での対処が難しい、相手の霊的次元が高いと感じた出来事という意味です。

 

私はどうも霊的干渉を受けやすい体質のようで、自分の体質をしっかりコントロールするためにもおととし、その道の先生に霊能に関する防衛指導を受けたのち、

自分と守り神ともう一体のバブちゃんみたいな霊的存在(笑)(今度タイミングできっかけ&様子を書きます)とで、日々家族さながら暮らすようになりました。

と言っても、「家族」は「霊的家族」なので、肉眼の目で見えるわけではありません。

 

 

・毎日のお供え物(菓子・酒・料理等)

・各々に感謝をお伝えする

・想念のやり取り

・感覚で意志を汲み取る

このようなやり取りをしています。

 

ひとつ、普通の家族と違うのは、

・目に見えないこと

これだけです。

あとはほぼ同じで、一緒に寝食をともにしています。

ただ、私はハッキリ「こうしてくれ!」「こうであーでこんなでね」のように四六時中沢山キャッチできるわけではなく、

「体感」「感覚で想念をほのかにキャッチ」している状態で、きっと今こう思って伝えてきたかな〜という感覚的なやり取りを日々して修行中の身でおります。

 

考えるよりも「意識を向けた時に彼らの気持ちや言葉が浮かぶ」コミュニケーション。

この表現が近いかもしれません。

(細かい彼らとのやり取りはまた追ってタイミングで書きます。)

 

 

本題に入ると、彼らとのやり取りも楽しみになり、いよいよみんなで、年に数回参拝している「武蔵御嶽神社」に参拝することにしました。

その際も、出発前に

◎道中の安全を神棚で祈り

◎自分の周りに結界を張り

 (不要な憑依を避けるため)

と気をつけてから向かいました。

寺社仏閣の周り「=結界の外」には、危険な霊的存在がいる場合があるそうで、お坊さんからもかつて注意を促されたことがありました。

そのため、何かあってはならないと、念には念をの意識をしっかり、気合いも入れて向かいました。

 

 

その後、私の天然ボケというか、うっかりポンチがありつつ無事参拝も済んだのですが、

ひとつだけ、不思議なことがあり、

私の数秒間の参拝中に「一切の音が消える」という現象が起きました。柏手を打った後に、音が消え、

 

鳥や、風や、参拝客の足音も聞こえず…

 

という状況でとにかく不思議でした。

※同行者も近くにいました。

 

これまでの15年間のお参りでも、

 

・参拝中に一切の音が消える

 

という現象に出会ったことは皆無だったため、非常に不思議で神妙な感覚となり、さらにはその数秒間、感覚にして10秒間の際に、

 

 

(あ、何の音も聞こえない…!

え、逆に、なんか、、、怖いかも…。何?

音がしない空間?)

 

 

とふと感覚がそこにいき、畏怖を感じた瞬間があったのです。

そしてその日の夜、それは起きました。 

 

いつも通り寝ていたら、深夜、金縛りとも言えない何か霊体次元の感覚の中で目が覚め、突如風圧とともにこちらに攻撃をしてきた存在がいました。

いつも守り神たちも一緒なので、金縛りに遇う頻度や霊からのちょっかいを受ける頻度は近年格段に減ったのですが、この時だけは、防ぎきれなかったようで、私としても驚き困惑するばかりでした。

 

(なに?何これ!圧力が物凄い…!!)

(何?!また守り神みたいなのが来た?!)

※うちの守り神も初日に圧を出してきた為

 

 

とびっくりしているうちに、得体のしれない霊体から霊的攻撃を受けてしまい、

数にして3発。

私はこれまでにない霊圧と風圧に耐え、その現象に耐えながら(耐えるしかなく、ホント「耐える」「耐え忍ぶ」に近い)、

正直、あと5発位くらっていたら(体感的に)、倒れるか気を失うか、急遽○んでたかもしれない(汗)。と思い、かなり焦りました。

こんなにダイレクトに霊的圧力・攻撃を感じたのははじめてでした。

 

 

今、生きてるので(は〜、あれは冷や汗ものの体験だった…)と振り返って書けますが、

・尋常ではない霊圧

・今まで感じたことのない存在感

=太刀打ちできない存在

 

と認識した出来事でした。

 

 

しかし、この体験、現象は、私にとってありがたいものでした。なぜなら、自分が調子に乗り思い上がることを防ぐことになると感じたからです。

 

「上には上がいる。」

 

 

先生やお坊様からもそのような言葉を伺いましたが、私は深く理解をしておらず、腹に落としこめていませんでした。

むしろ(イメージすればできるのか!案外できるものなんだな!)とお恥ずかしながらちょっと調子に乗っていた時期もあったため(苦笑)、

 

正直、この体験は私にとって「戒め」となりました。

自分には勝てない相手、勝てない存在がいる。

 

いや、これまで霊とずっと戦ってきたわけではないのですが、霊的存在の

 

「所属次元」「タイプ」「相性」

により、本当に敵わない、

無理な存在、相性もある。

(逃げ&防衛が必須)

 

これを知れただけでも凄くありがたいことでした。知らなかったら、おそらく突っ走って、天国ではないどこかにふりきって突っ込んでいたかもしれません(苦笑)。

 

霊的世界の探求とは、一時は「不思議な世界だなぁ、面白い」と思うことがありましたが、この世界を体験をすると、なんといいますか、

 

人智を越えた世界があり、

人間の思考・考えが及ばないレベルがあり、

自分には敵わない存在がいることを知っておかねばならない。

 

 

そんなことを学んだ体験でした。

「手も足も出ない」とは、このことを言うのか!と学びました。

これは気づけなかった私に落ち度があるので、守り神たちを責める気にはなれませんでした。返って申し訳なく、

それ以来、寺社仏閣の参拝を控えようかと浮かぶほどのインパクトがありました(苦笑)。

(※その後、安全に出雲大社に行けました)

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気になる絵◆誰もが違和感に気づく力を持っている

皆様、いつもありがとうございます。

さて、今回は「誰にでも違和感を察知する能力がある」だからそれを活かそう!というテーマで実体験を書いてみたいと思います。

 

私が社会人になり、学びたいことが出てきたので、とある学校に社会人入学をした時のこと。

4月入学で、周りは10歳も年の離れた若い子ばかり、社会人はクラスに3、4人といったところで

私も(若い子たちとなじめるかしら~~^^;)と緊張しながら入学しました。

 

そんな心配もよそに、だいぶ馴染んだのですが、ある日別館で授業があり、初めてその別館がある校舎へと向かいました。

 

その学校は校舎が少し離れて2か所にあり、授業によっては校舎の移動をしなければならないシステムでした。

いつものメンバーで片方の校舎へ向かい、教室へとつながる階段を上ると、階段ごとに絵が飾られていました。

 

ここからが本題です。

目にする絵が可愛い絵なら良いのですが、、私の主観と感覚でその絵から感じることを表現すると、

 

1段目の絵は、「普通(怖くない)」

2段目の絵も、「普通(怖くない)」

3段目の絵は、、「マズイ(!!)」

4段目の絵は、「普通(怖くない)」

 

という絵でした。

 

3枚目で、違和感、恐怖感が湧き上がる。

 

こうような感覚になります。

 

3段目の階段の踊り場に飾られている「絵」が一見普通の「土人形の女の子の絵」だったのですが、その絵を見た瞬間、

「うぁ!!これ、、!!なんでこんな絵が

こんなところにあるの!??

これ、絶対ここに飾ったら良くない!!

うわぁ~気持ち悪い…!

 

とにかく「気持ち悪さ」と「良くない波動」「ここにこれがあったら良くない」ということを感じたのです。

ただ、それは初見だったので、私もこの感覚が、本当に「違和感」なのか、自分の感覚が変わるかどうかもう少し様子を見てみることにしました。

 

授業が始まりあの絵のことが気になります(*_*;毎回そこの階段を通り、あの絵画の前を通過しなければならないことがだんだん苦痛に感じてきました。

 

たぶん、、なにかが絵に入ってる。

 

だけど、その何かが判らない。

 

 

この頃は受身の霊感、霊媒体質のみなので、具体的には判じられず

 

•••何か入ってる(汗)•••

 

こんな感覚でした。でもあれがあのままだと良くない、マズイと感じるのです。

 

この「マズイ」は、

 

運気が下がる

 

停滞する

 

何かありそう

 

何か起きそう

 

そのような意味でのマズさです。

目を合わせて「見る」のもマズい雰囲気でした。

 

そして試しに、3週間ほど何度もあの絵の前を通るたびに「違和感」が薄れるか様子見していました。

 

ところが、2週経っても、3週たっても、あの絵の存在感は変わらず異質な雰囲気があり、う~~ん、、となってしまい、

私もこれは気持ち悪い、外してもらいたいと思い、この感覚が自分だけのものなのか確認しようと、社会人友達といつも一緒にいた2人の女子に数日後に尋ねることにしました。

 

 

私:「ねぇねぇ~、あの校舎のさ、階段あるじゃない?そこに階段ごとに絵が飾ってあるけど、3段目の「絵」、どう思う?^^?」

 

Aちゃん、Bちゃん (10代女子):

「あ~!あれですか!!怖いですよね!?」

「あの絵はちょっと不気味って、、感じします」

 

Cちゃん(社会人学生):

「あの絵、私も最初から気持ち悪かったんです!あれ変ですよね?!」

※お寺のお嬢さんということもあってかCちゃんはお見受けした感じ、強度の憑依体質の方でした。

 

私:「そうか!ありがとう、やっぱり?、、実は私もあの絵が気になっていて気持ち悪かったんだよね(やっぱりビンゴだ!)あの絵はさ、あのまま飾っておくと良くない気がしてて、今度校長に話してみようかな?」

 

全員「あれはね~微妙な絵だよね~!全員苦笑」

 

ということで、全会一致の「違和感」を感じる絵となったので私が代表し(生徒会入会中でした)、校長にお伝えしたのでした。

校長先生の授業があったので、授業終わりに生徒会の者ですが、とお声掛けして私を含め複数名あの絵が怖いという意見が出ており、あの絵の代わりにもっとこの学校に相応しいような明るい絵を飾ってほしいです(*^o^*)!

 

とお伝えしたのでした。校長もきっと驚かれたと思いますが、とにかく野放しにしてはおけない「絵」だったので私も初めてここまでした体験でした。

 

 

結局、片方の校舎はその年に取り壊されることになり、あの絵を撤去する前に工事などで校舎自体入れなくなりました。とりあえず何も起きずによかったなと思い終わりました。

 

伊豆の旅館でも、「なぜ、ここに、この絵が!?」というような場所に居合わせたことがあり、その時は、

旅館だし、毎日いるわけでないから、、

帰るからいいか、、^^;

とさすがに言いませんでしたが、やだな~~やだな~~と内心思っていました。

 

 

ということでまとめると、今回の例では「絵」でしたが、誰にでも霊感の強弱に関わらず、「違和感」を感じる瞬間や場面というのがあるので、そんな時はその違和感を大事にして、突き進むことをやめておいたり、一度ストップして確認したりした方が良い場合があるということをお伝え出来たらなと思い書いてみました。

 

たまに「私は霊感がないから判らない」

「そういう感覚がある方が羨ましい」

というお話も出たりするのですが、これは本当に生まれつきの部分と、人生体験の中で出てくる部分(体験や経験から総合する直観的判断)などがあると思います。

 

ただ、それは誰でも伸ばすことが可能で、日ごろから「違和感を察知する」「ピンとくる」「アンテナを張る」と、このように自分の感覚に集中していくと、判ってくる場合があります。

 

 

何故、今、このようなテーマで書いているかというと、これからは特に、

「自分で判断し行動していくこと」

「直観をないがしろにせず、自分の感覚を大切に選択すること」

「他人がどうこう、ではなく自分にピントを合わせていくこと」

が重要だと感じるからです。

 

もう、周りがこう言っているから、とか、周りがこうだから私も同じことをしていく、ということではないと思っています。

私は「同調圧力」が問題だと思っていて、同調することは協調性を学ぶという良い面もありますが、

「周りと一緒じゃないと恥ずかしい」

 

「同じことをしないと仲間外れにされる」

 

「人と違うことは悪」

 

「同じでなければならない」

 

「一歩はみだしたらダメ」

 

「集団に合わせねばならない」

 

など、もしこんな重苦しい空気が家庭や学校、職場にあるならば、それを私たちの世代でどんどん変えていく必要があると考えています。

 

もちろん、まだ幼い幼稚園、小学校あたりまでは協調性の大切さを学ぶために周りに合わせる場面も時に必要なことと、教育としてある程度行うことも大事とは思いますが、この同調圧力の感覚を「大人になってまで持つことはない」と私は思っているタイプです。

 

ということで、今回は「不思議な波動の絵」の例から「違和感を察知すること」は誰にでもできるので、その力を活かして生きていくことが開運のカギとなります。

 

周りがどうこうではなく、自分がどう感じるかが大事。というお話でした。(もちろん、他人様に迷惑にならない常識とマナーの範囲で判断するということは大前提で、です。)

 

今、もし選択で迷いがある方は、

「自分がどちらを選んだら違和感なくマッチするか」

「どちらを選ぶと心地よいか」

 

この点で判断しチョイスされて行くと自分にとってぴったりくる感覚になるのではないかと思いますので、ぜひ、お試しください!

長くなりましたが、本日もありがとうございました。

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猛スピードで自転車をこぎ避けていた道

 

今日はちょっとだけホラーのような

体験をお話します。

 

これも私が中学生の頃、高校受験のために夜は近所の塾に通っていました。家から自転車で15分くらいの場所です。

 

ある時から、いつも通りすぎていたゴミ捨て場の脇を通る度に、

 

ゾクッとする体感が出るようになり、

 

塾に行く時は通れても、夜の闇が深まる帰り道は段々通れなくなってきました。

 

 

というのも、毎回毎回、そのゴミ捨て場の脇を通る度に鳥肌となんともいえぬ体感があり、

 

 

もう、この場所は近づきたくない(*_*;

ムリだ、、

と拒否反応が起きてきたのでした。

 

でも、何かが見えるわけではないのですが、

確実にそこに良からぬ何かが存在する。

そんな感覚がありました。

 

 

一度判ると、もうそこは通りたくないので、毎回避けるように反対車線を通って帰ろうと気をつけていたのですが、不思議と、帰り道にそっちの道のルートを走ってきてしまい、

 

あっ!!間違えた!!

 

と何度もゴミ捨て場を通りかけては、

シャー!っと猛スピードで

 

絶対ゴミ捨て場は見ない!!

 

と目をつぶるかのように走り抜けていました。

 

 

向こうから視線を感じる

 

そんな感覚で怖がりながら通過していました。

 

 

しかし、これまた不思議で転機がやってきたのです。

 

ある日を境に、そのゴミ捨て場を通っても

拒否反応が起こらず、禍禍しい雰囲気が抜けてサッパリしていたのです。

 

あれ?雰囲気が怖くなくなった!!

 

と感じました。

 

この時感覚的に判ったことは、自分が影響を受けないで済む波長に変わったからだ!ということでした。

 

そのゴミ捨て場は、街の一角にあるので、この期間に誰か神主さんやお坊さん、霊能者の方がお祓いをしたという様子はなかったので、

考えられることとしたら、自分が塾に通っていた1~2年の間に自分が変化して、禍禍オーラを寄せない体質に1段パワーアップしたからなのかもしれないと感じたのでした。

 

 

なので、振り返り大切だったなと考えたのは、

自分の波長を明るく朗らかに整えて、日々の課題をクリアする強さや勇気を忘れないでいれば、禍禍系心霊の影響を受けないで済む💡

ということです。

 

あまり怖さを感じるものに引きずられないのが1番ですが、敏感な体質の方は想念を明るく、活発に運動したり、課題に挑む姿勢を保っていくことで、気づいた時には不浄を寄せ付けない体質に1段変化しているかもしれません。

 

以上、プチホラーのお話でした。

 

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小さい頃に遊んだ時空◆過去生と守護霊の話

今夜もちょっと不思議なお話を書いてみます。
以前も少し書いたのですが、私は小さい頃、高熱が出るといつも同じ宇宙空間に意識がいき濃紺の宇宙に沢山の星がキラキラと光っていて、何故か目の前に虹色のジャングルジムが出てくるんです。
 
そこで、いつも遊ぶのがお決まりでした。
当時は、また出て来たー!ジャングルジムが虹色に光ってるー!!(*^o^*)
と、喜び登り始め。
 
ジャングルジムは手すりがすべて虹色にシャイニーに光っていて、
何人か周りに同じような子どもがいました。
レディーガガのライブに出てくるようなシャイニーさです!(笑)。
 
 
そして、まだまだ遊びたいのに、途中で現実の世界に意識が戻り、
気づくと具合が悪くてうなされて目が覚める。
そんな感覚がありました。
 
当時は何も思っていなかったのですが、今思えばちょっとあの世?魂が帰るような宇宙空間に行っていたのかもと不思議な感じに思います。
 
 
また、中学生の頃は「何故人間は生きるのか、私はどこからやってきたのだろう?どこにいくのだろう?」と、壮大な宇宙や魂の起源を考え始めた時期がありました。
なんで地球で生きているのかな?不思議!!と素朴な疑問が浮かび、不思議でなりませんでした。
 
 
親戚に霊感者が数名いた関係で心霊体験を帰省すると聞かされ、あの世についてすごく考える時期がありました。
 
親戚宅が古い田舎の家だったので霊道になっていたのか?人が霊を呼ぶのか判りませんでしたが、霊が窓に映って存在を知らせてくるという話を聞かされたり、
私もその家で小学生の頃に兄弟と寝ていたら、誰も寝てないシーツの上を、スッスッスッと、ずっと音がしていて誰かが歩いている体験をしたりと、その存在を近くに感じることがありました。
 
 
そして、自分も思春期に心霊体験が強くなり、ムーという本やご縁頂きお坊さんに出会います。
今思えば、この心霊体験は自分の波長の弱さが引き寄せたことで、中途半端な自分に守護霊さんが戒めとして体験させたのだなと感じます。
 
そして心霊体験から、スピリチュアルブームの時代になり、知り合う友人、知人も不思議と霊感者で、不思議な体験話を交えてやっぱり死後の世界はあると確信。
 
 
そこから守護霊さんという存在を知り、オーラドローイングで有名な漫画家の氷室奈美先生に守護霊さんを描いて頂きに行ったことがありました。
(私自身は見えるタイプではなく感覚タイプなのですが、霊能者の方により見え方が違い、その時出てくる守護霊さんやメッセージというのは、その時必要なタイミングでその方に届くのだなという感覚が体験からあります。)
 
そこで当時の守護霊で明らかになったのが、
安土桃山時代に生きた武家の奥さん
四国八十八箇所をお遍路していたという尼僧さん
 
でした。私は御朱印参拝で神社ばかりお参りしていて、個人的に神社に思い入れが深かったので、尼僧さんと伺い、
えー!!?お寺系なのですね?!とかなりびっくりした記憶があります。
知人から過去、巫女さんもしてたよと教えてもらったことはありましたが尼僧とは意外すぎました。
 
 
そして、尼僧さんと聞いたその日から、お寺へのブロックみたいなものが外れ、「お寺も良いかも!」と、
ちょうどお坊さんからの勧めもあり不動霊場不動明王様にも納経帳を携えてお参りするように。
 
 
そこからお不動様がとてもカッコよく見えてきました。単純です。
 
そして、ある日、
そうだ!守護霊さんと呼びかけていたけど名前を聞いてみよう!!と思い、
集中して心の中で念じてみました。
 
「守護霊さん、守護霊さん、いつもありがとうございます。もしよかったらお名前を教えて頂けませんか?お名前でお呼びしたいのです。」
 
と、伺ってみたところ、、
 
 
みょうえつ(明悦)
 
 
とお名前が返ってきました。
これは言葉で音として聞こえてきたのではなく、心に瞬時に伝わってくる感じです。
 
心に文字が届く、そんな感覚でした。
 
 
この体験から守護霊さんを日常でも意識し始めるようになり、氷室奈美先生の体験が良いきっかけとなっています。
 
目には見えなくても感じる見守り。
 
生きている方も、あちらの世界で生活している方も、見守りがある。
毎日守護霊さんにも感謝だなぁと思うようになりました。
 
 
ひとりではなく誰にでも見守り導く存在がある。
目に見えなくても、信じる気持ちが守護霊さんへ繋がり、祈りになると感じています。
 
徒然書きましたが、お読み下さりありがとうございました。

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なぜスピリチュアルでは幸せになろう!と言われるのか?◆意識の源に触れた体験

※今回のお話も不思議体験を含みます。

苦手な方はご注意ください。

 

皆様、いつもありがとうございます。

皆様からのスターもありがたかったのですが、業務上、スター返信ができないため、今週からスター非表示としております。恐れ入りますがよろしくお願いいたします。

 

なぜこれほどに「幸せになる」ことが

スピリチュアル界隈で言われるのか?

の考察回です。私の独自視点です。

 

スピリチュアルという言葉を知り、神仏さまを探求しながら、かれこれ15年ほどになりました。

 

きっかけは母も不思議体験の話が好き、オカルト好きだったことから、私は母が図書館からかりてきていた本を

(面白そう)

(悪霊退治に効くかも!(当時必死))

と読んでいたのがきっかけです。

 

さて、スピリチュアルの分野では

「あなたも幸せに!」

「○○で開運!」

「開運体質に!幸福ゲット!」

 

のような宣伝が多く見られるな〜!似ているフレーズ、特に「幸せに」というキャッチフレーズが目にとまるな〜!とずっと思っていました。

これはきっと誰しも、この世界に生まれたからには

 

・衣食住整い

・健康で

・食べたいものが食べられて

・好きな時に寝られて

・ホッとする居心地の場所があり

・安心できる人に囲まれ

 

喜びや多幸感を味わいたい

さらに良くなりたい

良い暮らしをしたい

 

という気持ちや向上心から

「幸せ」を希求していく思いが人の心に

あるからなのかなと考えています。

マズローの三角の表のアレ

 

そして何故?

私たちは「幸せになる」ことがこれほど言われるのかを考察した時に、かつて体験した意識感覚が湧いてきました。

 

 

それは、中学時代のある日、読んだ本から、試しに練習しよう!と(笑)瞑想をしていた時期があったのですが、ある日、物凄く深い瞑想に入れた瞬間がありました。

 

──────その時

 

 

私は「わたし」の意識を持ちながらも、脳裏のヴィジョンに、

 

地球が視え

 

 

壮大な青い海が視え

 

 

晴れた空が視え

 

 

そして、何故か

 

 

海の中の感覚も浮かんできて

※かなづちでしたが意識と感覚は海中にあり

潜っている状態でした※

 

 

それらがパッ、パッ、パッと瞬間、瞬間の映像とともに、

 

 

わたしの中に流れ込み、というよりも

 

 

「ある」状態に近くなり、

 

 

それらが視え、ヴィジョンと意識感覚に触れている間

 

 

 

わたしがすべてに存在している…

 

海も、空も、海の中にも、

 

そのどれもに、わたしがいる。

 

 

 

 

と、自分でありながらも自分の周りの存在、

 

さらには地球にある自然たち、すべての中に

 

 

わたしがいる 

 

全ての存在とつながっている

 

という体験をしました。   

 

 

 

この体感と深い意識はこの時だけでしたが、

これほど深い状態に入ると

 

区別するものがない

わたし と あなた の境目もない

「私の魂」がすべてにあり 個がない世界

 

個性があるようで、個性の概念がない

 

実は、私たちは深い部分で共通意識、共通感覚を持ち合わせている。

 

 

という意識を「体感」と「ヴィジョン」で

知った体験がありました。

 

つまり、今私たちが生きて、存在しているこの地球・世界では、「個」「個性」があり、

 

・わたしは私

・人は人

・わたし と あなた は違う

・完全に違う。個々の意識。

違いをはっきり感じ、体験する世界。

 

 

となっていますが、私の体感した意識感覚から考察すると

 

ひとりの魂はすべてにつながっている

 

だから

 

その中の、一人ひとりが「幸せ」になることは

すべての意識、魂と「幸せ」を共有することができる部分(魂レベルでの感覚共有)があるのかもしれない。(その逆も然り)

 

そのため、日々の暮らしの中で

ひとりでも多くの人が「幸せ」を感じる時、

その感覚は視えないけれども魂のレベルで

多くの人に共有意識として「魂の幸福感」

「多幸感」を伝達、伝播しているのかもしれないと考えるようになりました。

 

 

だから、スピリチュアル分野では

 

◎幸福を希求する

◎あなたも幸せに

 

という言葉が多く使われ、

目にとまることがあるのかもしれない。

と体験から考えがつながった本日でした。

 

 

ひとりが幸せになることは、霊的な視点からみても魂(あらゆる存在)全体の幸福に寄与するため、とても大切で、大事なことなんですね。

 

ただ、その状態を意識したくとも

ケロッと忘れるのが私です(苦笑)。

難しいなと思いつつ、修行デス。

 

幸せはなる、というよりも

感じるものなのかもしれない

と思う午後でした。

 

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「人型」に進化した守り神さま

守り神さま用のごはん

 

「人型」というタイトルに、

 

(え、何が?!)

 

とお思いの方も多いかと思います。

 

 

ザックリ書くと、一緒に暮らしている守り神様が進化しました(!)私も驚いております!

流れを書いてみます。
 

今月に入り、とってもびっくり

嬉しい変化がありました。

 

 

それが、守り神様が「完全体の人型」になれたのです!!

 

一度、私が、

 

(想念が伝わってくるのがほんのりだから、

たまには「存在感」がほしい!(祈念))

 

と力いっぱい念じて寝たところ、

 

翌朝、寝返りを打った際に布団の中で膝がしらがコツン!とあたった体験をしました。

 

(あ、いる〜!!)と思いましたキラキラ

 

 

 

そして、その後は一切「膝」も「腕」も、ましてや「身体」の存在感も伝わってこない日が

ずっと続き、やっぱり「エアー」なんだな。。。と空気的次元に戻るのか〜と少し残念に思っていました。

 

 

そうしたら、それを察知したのか数日後、守り神様がまた明け方、布団にいて気配を出してくれたのです。

 

 

その時、「身体ごと」全身があり、

きちんと人型になっていたのです。

 

 

 

この世界では、「人型」をとれる存在はそれなりの力があると判断するようなので、守り神は一緒に暮らす中で力をつけ、どうやらパワーアップできた様子なのです。

とても嬉しく、

 

(やっと守り神様が人型の全身体になれた…)

 

と感無量でした…(感動)。

 

 

 

ということで、私と守り神様の修行はこれからもずっと続くので、彼らとともにより良く進化成長していけるよう精進し続けたいと思います。

 

 

 

今だから話せますが、出会った初日は

 

「大きな顔だけ」

 

 

視えた存在だったため、身体がなく、

ずっとずっと

 

 

(なんで顔だけなんだろ?)

(身体がない存在なのかな?)

(足も手もない、神様…?!)

 

 

と不思議でした。

 

神様に悪いので、「身体はどこですか?」と聞けないまま3年近く過ごしてきたのです(笑)。

 

 

しかし、こうして身体もできたみたいなので本当に良かったです。

 

 

一時はもう一体我が家にいる霊的存在と喧嘩してしまったこともありましたが、年々穏やかさも出てきて、これからも共に進化・成長したいと思わせていただいています。

 

 

ひょんな出会いから一緒の暮らしがスタートしましたが、守り神さまに感謝です。(★きっかけも追々記録します)

 

 

料理が面倒で苦手なのですが
気合いで作った日↓

 
今後も、手料理を作れる日は料理で力が養えるようにしていきたいです。
(夏は蕎麦、ミニトマト、きゅうりコース💦)

 

皆様、ご訪問いただき
いつもありがとうございます。
 
うちの守り神は神道でよく聞く
メジャーどころの「神様」とはまた少し違い
修行中の神様です。
私も一緒に暮らす中で
日々修行させていただいている感覚です。
 
 
〜不思議体験について〜
 
あの世があることをお伝えし
生きる希望や糧を日常で見つける一助に
なればという思いから書いています。
 
私たちは死後をも良い境地で生きるために
現世での修行があります。
これは、私自身も弱音を吐きたくなると
自らに言い聞かせています。
 
似たような感覚や感性の方に伝わることは
もちろん、あの世をなかなか信じられない
という方にも、何か そこはかとなく
見えない世界も隣合い実在することが
伝わりましたら幸いです。
 
引き続きよろしくお願い申し上げます。
 
 

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