守り神との暮らし〜民俗学・現象の考察〜

元巫女助勤経験者による不思議体験伝承日記

自分が太刀打ちできない霊的存在を知った日◆

自分が太刀打ちできない霊的存在を知った日

皆様いつもありがとうございます。

今回は濃い内容をお届けできるかと存じます。

これは2024年の今年に起きた出来事です。

※「太刀打ちできない存在」というのは、現時点で、自分での対処が難しい、相手の霊的次元が高いと感じた出来事という意味です。

 

私はどうも霊的干渉を受けやすい体質のようで、自分の体質をしっかりコントロールするためにもおととし、その道の先生に霊能に関する防衛指導を受けたのち、

自分と守り神ともう一体のバブちゃんみたいな霊的存在(笑)(今度タイミングできっかけ&様子を書きます)とで、日々家族さながら暮らすようになりました。

と言っても、「家族」は「霊的家族」なので、肉眼の目で見えるわけではありません。

 

 

・毎日のお供え物(菓子・酒・料理等)

・各々に感謝をお伝えする

・想念のやり取り

・感覚で意志を汲み取る

このようなやり取りをしています。

 

ひとつ、普通の家族と違うのは、

・目に見えないこと

これだけです。

あとはほぼ同じで、一緒に寝食をともにしています。

ただ、私はハッキリ「こうしてくれ!」「こうであーでこんなでね」のように四六時中沢山キャッチできるわけではなく、

「体感」「感覚で想念をほのかにキャッチ」している状態で、きっと今こう思って伝えてきたかな〜という感覚的なやり取りを日々して修行中の身でおります。

 

考えるよりも「意識を向けた時に彼らの気持ちや言葉が浮かぶ」コミュニケーション。

この表現が近いかもしれません。

(細かい彼らとのやり取りはまた追ってタイミングで書きます。)

 

 

本題に入ると、彼らとのやり取りも楽しみになり、いよいよみんなで、年に数回参拝している「武蔵御嶽神社」に参拝することにしました。

その際も、出発前に

◎道中の安全を神棚で祈り

◎自分の周りに結界を張り

 (不要な憑依を避けるため)

と気をつけてから向かいました。

寺社仏閣の周り「=結界の外」には、危険な霊的存在がいる場合があるそうで、お坊さんからもかつて注意を促されたことがありました。

そのため、何かあってはならないと、念には念をの意識をしっかり、気合いも入れて向かいました。

 

 

その後、私の天然ボケというか、うっかりポンチがありつつ無事参拝も済んだのですが、

ひとつだけ、不思議なことがあり、

私の数秒間の参拝中に「一切の音が消える」という現象が起きました。柏手を打った後に、音が消え、

 

鳥や、風や、参拝客の足音も聞こえず…

 

という状況でとにかく不思議でした。

※同行者も近くにいました。

 

これまでの15年間のお参りでも、

 

・参拝中に一切の音が消える

 

という現象に出会ったことは皆無だったため、非常に不思議で神妙な感覚となり、さらにはその数秒間、感覚にして10秒間の際に、

 

 

(あ、何の音も聞こえない…!

え、逆に、なんか、、、怖いかも…。何?

音がしない空間?)

 

 

とふと感覚がそこにいき、畏怖を感じた瞬間があったのです。

そしてその日の夜、それは起きました。 

 

いつも通り寝ていたら、深夜、金縛りとも言えない何か霊体次元の感覚の中で目が覚め、突如風圧とともにこちらに攻撃をしてきた存在がいました。

いつも守り神たちも一緒なので、金縛りに遇う頻度や霊からのちょっかいを受ける頻度は近年格段に減ったのですが、この時だけは、防ぎきれなかったようで、私としても驚き困惑するばかりでした。

 

(なに?何これ!圧力が物凄い…!!)

(何?!また守り神みたいなのが来た?!)

※うちの守り神も初日に圧を出してきた為

 

 

とびっくりしているうちに、得体のしれない霊体から霊的攻撃を受けてしまい、

数にして3発。

私はこれまでにない霊圧と風圧に耐え、その現象に耐えながら(耐えるしかなく、ホント「耐える」「耐え忍ぶ」に近い)、

正直、あと5発位くらっていたら(体感的に)、倒れるか気を失うか、急遽○んでたかもしれない(汗)。と思い、かなり焦りました。

こんなにダイレクトに霊的圧力・攻撃を感じたのははじめてでした。

 

 

今、生きてるので(は〜、あれは冷や汗ものの体験だった…)と振り返って書けますが、

・尋常ではない霊圧

・今まで感じたことのない存在感

=太刀打ちできない存在

 

と認識した出来事でした。

 

 

しかし、この体験、現象は、私にとってありがたいものでした。なぜなら、自分が調子に乗り思い上がることを防ぐことになると感じたからです。

 

「上には上がいる。」

 

 

先生やお坊様からもそのような言葉を伺いましたが、私は深く理解をしておらず、腹に落としこめていませんでした。

むしろ(イメージすればできるのか!案外できるものなんだな!)とお恥ずかしながらちょっと調子に乗っていた時期もあったため(苦笑)、

 

正直、この体験は私にとって「戒め」となりました。

自分には勝てない相手、勝てない存在がいる。

 

いや、これまで霊とずっと戦ってきたわけではないのですが、霊的存在の

 

「所属次元」「タイプ」「相性」

により、本当に敵わない、

無理な存在、相性もある。

(逃げ&防衛が必須)

 

これを知れただけでも凄くありがたいことでした。知らなかったら、おそらく突っ走って、天国ではないどこかにふりきって突っ込んでいたかもしれません(苦笑)。

 

霊的世界の探求とは、一時は「不思議な世界だなぁ、面白い」と思うことがありましたが、この世界を体験をすると、なんといいますか、

 

人智を越えた世界があり、

人間の思考・考えが及ばないレベルがあり、

自分には敵わない存在がいることを知っておかねばならない。

 

 

そんなことを学んだ体験でした。

「手も足も出ない」とは、このことを言うのか!と学びました。

これは気づけなかった私に落ち度があるので、守り神たちを責める気にはなれませんでした。返って申し訳なく、

それ以来、寺社仏閣の参拝を控えようかと浮かぶほどのインパクトがありました(苦笑)。

(※その後、安全に出雲大社に行けました)

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