皆様、いつもありがとうございます。
さて、今回は「誰にでも違和感を察知する能力がある」だからそれを活かそう!というテーマで実体験を書いてみたいと思います。
私が社会人になり、学びたいことが出てきたので、とある学校に社会人入学をした時のこと。
4月入学で、周りは10歳も年の離れた若い子ばかり、社会人はクラスに3、4人といったところで
私も(若い子たちとなじめるかしら~~^^;)と緊張しながら入学しました。
そんな心配もよそに、だいぶ馴染んだのですが、ある日別館で授業があり、初めてその別館がある校舎へと向かいました。
その学校は校舎が少し離れて2か所にあり、授業によっては校舎の移動をしなければならないシステムでした。
いつものメンバーで片方の校舎へ向かい、教室へとつながる階段を上ると、階段ごとに絵が飾られていました。
ここからが本題です。
目にする絵が可愛い絵なら良いのですが、、私の主観と感覚でその絵から感じることを表現すると、
1段目の絵は、「普通(怖くない)」
2段目の絵も、「普通(怖くない)」
3段目の絵は、、「マズイ(!!)」
4段目の絵は、「普通(怖くない)」
という絵でした。
3枚目で、違和感、恐怖感が湧き上がる。
こうような感覚になります。
3段目の階段の踊り場に飾られている「絵」が一見普通の「土人形の女の子の絵」だったのですが、その絵を見た瞬間、
「うぁ!!これ、、!!なんでこんな絵が
こんなところにあるの!??
これ、絶対ここに飾ったら良くない!!
うわぁ~気持ち悪い…!
とにかく「気持ち悪さ」と「良くない波動」「ここにこれがあったら良くない」ということを感じたのです。
ただ、それは初見だったので、私もこの感覚が、本当に「違和感」なのか、自分の感覚が変わるかどうかもう少し様子を見てみることにしました。
授業が始まりあの絵のことが気になります(*_*;毎回そこの階段を通り、あの絵画の前を通過しなければならないことがだんだん苦痛に感じてきました。
たぶん、、なにかが絵に入ってる。
だけど、その何かが判らない。
この頃は受身の霊感、霊媒体質のみなので、具体的には判じられず
•••何か入ってる(汗)•••
こんな感覚でした。でもあれがあのままだと良くない、マズイと感じるのです。
この「マズイ」は、
運気が下がる
停滞する
何かありそう
何か起きそう
そのような意味でのマズさです。
目を合わせて「見る」のもマズい雰囲気でした。
そして試しに、3週間ほど何度もあの絵の前を通るたびに「違和感」が薄れるか様子見していました。
ところが、2週経っても、3週たっても、あの絵の存在感は変わらず異質な雰囲気があり、う~~ん、、となってしまい、
私もこれは気持ち悪い、外してもらいたいと思い、この感覚が自分だけのものなのか確認しようと、社会人友達といつも一緒にいた2人の女子に数日後に尋ねることにしました。
私:「ねぇねぇ~、あの校舎のさ、階段あるじゃない?そこに階段ごとに絵が飾ってあるけど、3段目の「絵」、どう思う?^^?」
Aちゃん、Bちゃん (10代女子):
「あ~!あれですか!!怖いですよね!?」
「あの絵はちょっと不気味って、、感じします」
Cちゃん(社会人学生):
「あの絵、私も最初から気持ち悪かったんです!あれ変ですよね?!」
※お寺のお嬢さんということもあってかCちゃんはお見受けした感じ、強度の憑依体質の方でした。
私:「そうか!ありがとう、やっぱり?、、実は私もあの絵が気になっていて気持ち悪かったんだよね(やっぱりビンゴだ!)あの絵はさ、あのまま飾っておくと良くない気がしてて、今度校長に話してみようかな?」
全員「あれはね~微妙な絵だよね~!全員苦笑」
ということで、全会一致の「違和感」を感じる絵となったので私が代表し(生徒会入会中でした)、校長にお伝えしたのでした。
校長先生の授業があったので、授業終わりに生徒会の者ですが、とお声掛けして私を含め複数名あの絵が怖いという意見が出ており、あの絵の代わりにもっとこの学校に相応しいような明るい絵を飾ってほしいです(*^o^*)!
とお伝えしたのでした。校長もきっと驚かれたと思いますが、とにかく野放しにしてはおけない「絵」だったので私も初めてここまでした体験でした。
結局、片方の校舎はその年に取り壊されることになり、あの絵を撤去する前に工事などで校舎自体入れなくなりました。とりあえず何も起きずによかったなと思い終わりました。
伊豆の旅館でも、「なぜ、ここに、この絵が!?」というような場所に居合わせたことがあり、その時は、
旅館だし、毎日いるわけでないから、、
帰るからいいか、、^^;
とさすがに言いませんでしたが、やだな~~やだな~~と内心思っていました。
ということでまとめると、今回の例では「絵」でしたが、誰にでも霊感の強弱に関わらず、「違和感」を感じる瞬間や場面というのがあるので、そんな時はその違和感を大事にして、突き進むことをやめておいたり、一度ストップして確認したりした方が良い場合があるということをお伝え出来たらなと思い書いてみました。
たまに「私は霊感がないから判らない」
「そういう感覚がある方が羨ましい」
というお話も出たりするのですが、これは本当に生まれつきの部分と、人生体験の中で出てくる部分(体験や経験から総合する直観的判断)などがあると思います。
ただ、それは誰でも伸ばすことが可能で、日ごろから「違和感を察知する」「ピンとくる」「アンテナを張る」と、このように自分の感覚に集中していくと、判ってくる場合があります。
何故、今、このようなテーマで書いているかというと、これからは特に、
「自分で判断し行動していくこと」
「直観をないがしろにせず、自分の感覚を大切に選択すること」
「他人がどうこう、ではなく自分にピントを合わせていくこと」
が重要だと感じるからです。
もう、周りがこう言っているから、とか、周りがこうだから私も同じことをしていく、ということではないと思っています。
私は「同調圧力」が問題だと思っていて、同調することは協調性を学ぶという良い面もありますが、
「周りと一緒じゃないと恥ずかしい」
「同じことをしないと仲間外れにされる」
「人と違うことは悪」
「同じでなければならない」
「一歩はみだしたらダメ」
「集団に合わせねばならない」
など、もしこんな重苦しい空気が家庭や学校、職場にあるならば、それを私たちの世代でどんどん変えていく必要があると考えています。
もちろん、まだ幼い幼稚園、小学校あたりまでは協調性の大切さを学ぶために周りに合わせる場面も時に必要なことと、教育としてある程度行うことも大事とは思いますが、この同調圧力の感覚を「大人になってまで持つことはない」と私は思っているタイプです。
ということで、今回は「不思議な波動の絵」の例から「違和感を察知すること」は誰にでもできるので、その力を活かして生きていくことが開運のカギとなります。
周りがどうこうではなく、自分がどう感じるかが大事。というお話でした。(もちろん、他人様に迷惑にならない常識とマナーの範囲で判断するということは大前提で、です。)
今、もし選択で迷いがある方は、
「自分がどちらを選んだら違和感なくマッチするか」
「どちらを選ぶと心地よいか」
この点で判断しチョイスされて行くと自分にとってぴったりくる感覚になるのではないかと思いますので、ぜひ、お試しください!
長くなりましたが、本日もありがとうございました。
桜
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