守り神との暮らし〜民俗学・現象の考察〜

元巫女助勤経験者による不思議体験伝承日記

お坊様の鑑定方式◆能力者に初めて出会った時の話

皆様、いつもありがとうございます。

今日は私がかつて呼吸法や霊体の強化のために月一度学んでいたお坊様について少し書いてみます。

当時、弟子入りを相談したところ、お坊様は弟子は取らないんだ💡と話していらっしゃいましたが、今につながる大事な学びをしたため、私は勝手に「師匠」と思っています。

 

お坊様との出会いは私が19歳の頃、1番人間関係と心霊体験、家庭の悩みが重なり、ストレスMAXの、気持ちが張り詰めていた時期でした。

何故?こんな人生なら神仏などいない!

と怒りや悲しみがうずまいていたため魂のブレ、揺らぎから「暗黒時代」と呼べる時期です。しかし、そんな中でも、たまたま大学時代に知り合ったキャンパス内外で、霊感体質、占い好きの友人、先輩がいて、

その中の先輩(以下、お姉さん)が私を心配して師を紹介してくれたのでした。

ちなみに新興宗教とかではなく、知り合った方、個々がたまたま生まれた時から霊媒、霊感体質強めだったという流れです。

 

元々お姉さんも、霊感体質(憑依体質)だったようで、小さいころから、心霊だけでなく、妖精やキラキラしたオーラのようなもの、遠隔で霊視できるという能力を持って生まれてきた方で、ちょうど私の状態がかつてのお姉さんの状態とリンクしたそうで引き合わせてくださったのでした。

 

話によればお姉さんも、家庭や人間関係の苦しみを乗り越え、負の影響に惑わされないよう感情のコントロール方法、呼吸法などをお坊さんから学んだようでした。私の状態がかなり負の影響に引っ張られ、会うとそれに気づいて心配していました。

気が合い毎週のように、神社やパワースポット、カフェにいっていたのですが、たまに、

 

「あれ、、、今日は誰なの?

いつもの桜じゃないよね。今日、違う。」

 

と声かけがあり、確かにそんな日は私の感覚がいつもと違い、自分の実感としては、気がすごく、どよ~~んとしていて、別に悲しいことがあったわけじゃないのに、

身体がずっしりしていて、重い。

息がしづらくて、のっしりどっしりした苦しい感覚がありました。

つまり、私以外の魂を知らず知らずにのせて背負っていたようなのです。

 

よく電車に乗り府中のカフェに行けたなぁという感じなんです。誰か他の霊体の影響を受けている、ということをズバリ指摘され、カフェでも、

 

お姉さん の向かいにいる桜

=全然違う霊体も一緒

みんなでパンケーキを食べる図(笑)

 

みたいな構図になっていたようなんです(笑)。笑えませんが、、たぶん2人羽織的な??視え方だったのでしょう。私も心の中、感覚でも

(あれ、やっぱり今日の私、、なにか違うと思っていたけどやっぱり!霊が一緒にいるんだ)

 

と焦ってもできることがなく、わからないのでなすがままでいました。ただこれがすごく危ないようで、運気は下がるわ、金縛りは止まらないわで非常によくない状態でした。

毎日金縛りが、1ヶ月くらい続き、塩も御札もお手上げ状態だった時期です。

自死されたサラリーマンが成仏できず、苦しみをぶつけに私のところに毎晩きていたのです。

 

そして、お姉さんの紹介がありお坊様に引き合わせていただきました。高野山で得度され学びと修行をきちんとされた方で、お祓いの能力もある方だからとご紹介いただき、当日お会いすることになりました。

 

都内で個人セッションをされており、一見爽やかなイケメンで、お坊さん兼霊能者とは分かりませんでした。

そして、カウンセリングが始まりこれまでの身に起きたことをお話して、呼吸法から始まり、やり方を教わり、月一度通うごとに、課題が出るので、それを次回までにトレーニングして→確認のような流れでした。

 

すると、確かに身体が軽くなり、通うごとに状態、状況に光りが入るかのような改善が見られてきて、私もこの方は真の力をお持ちだ!お力がある方だ!と実感するものがありました。

目にたまった邪気をすぐ抜いてくださったこともあり、スゥーっとなくなる体感があったのでびっくりしました。

効果が出るので正統派な感覚があったのです。

 

あと、陰陽師がよくしている、手の使い方をしていました。何か印を結ぶ形です。

お不動様のお経も教わり、お唱えの仕方と回数、手の型があるのでそれを学びました。

今はこのお不動様のご縁がいただけたからこそ、自分が今日まで厄から逃れ生きてこれた気がしています。大難が小難になる、感覚です。

 

そして、今回書きたいのがここからなのですが、お坊さんは、鑑定料金について、こう話してくださいました。

今のあなたは、学生で1回1回の支払いが大変だと思うから、30分5000円で大丈夫だよと。本来なら1時間の対応なのですが、私の状況を考慮してくださり、すごく配慮してくださりました。

そして、そしてもし、支払いが難しいなら、僕が天界に旅立つ日までに支払ってもらえれば良いからと。※霊的にもカルマが発生しないため

 

なんてカッコイイのだろう!と感激でした。

この時は様々苦しい時だったので、ありがとうございます!!とすごく救われ、ジーンとしたのを覚えています。

そのため、真の霊能者は、法外な鑑定料金は取らない、ウン十万、ウン百万の壺や印鑑を売りつけたりしない、ということが分かりました。

 

お話によると、師匠の歩みもとてもご苦労をされ、家庭のことなど苦しい時代を通過されてから得度することを決めたそうでした。

 

霊能者はお金を取ってはいけないという話も耳にしますが(法外な料金でお金儲けに転がるのがNGかと)、しかし、霞を食べて生きていくわけではなく、生活もあるからやはり生計が成り立つためには「自分の労力に対する対価を得る」ことが必要だろうなぁと思います。

 

こうして振り返ると私のように学生でそれほど稼ぎのない相手に合わせてくださったお坊様は、今振り返っても人情に厚い、良い方だったなぁと思うのでした。

 

私は人生の岐路になると能力者の方に巡り会うことがこれまでも度々あったので、また不思議体験として描いてみます。

人やもの、仕事のご縁というものは総じて本当に不思議です。

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ブレスレットに乗りやってきた龍の話

右に龍神、左に鳳凰(愛光堂さんのもの)

 

皆様、ご訪問ありがとうございます。
今日も良い1日にしたいですね。
今日も、不思議体験です^_^
 
私が19歳の頃、愛光堂さんのブレスレットをつけて寝てから、それまで困っていた心霊体験がピタリ!と起きなくなり、それからというものパワーストーンには確かに邪気祓いや霊から身を守る力があるのだ!と実感し、毎日つけるようになりました。
 
愛光堂さんはお店の雰囲気もすごく良かったため、2-3年に1回ほどの割合で自由が丘に行き新しいブレスレットを購入していました。
 
ある日、
水晶だけのブレスレットがほしい!
と思った私は愛光堂さんに行き、
オーダーではなく既製品の水晶のブレスレットを買うことにしたのです。
 
 
お店に行くと、
これ!!これいい!(*^^*)
と思うものがあり、そちらにしました。
大きな水晶と小さな水晶がバランス良く組まれていて、大きな水晶には「龍神」と「鳳凰」が彫られています。
 
即決してこれでまた良い感じ☆
と思い帰宅したのでした。
 
そして、お守りブレスレットと更に仲良くなるために、目をつぶり手のひらにブレスレットを置き、
名前や「お力をかしてくだはい」ということを念じて集中します。
 
これは個人的にやりたいからやっているだけなのですが、神社で受けたお守りやブレスレットを新しくした時は名前や目的を念じて自分に馴染むようにお祈りしてから使用しています。
 
 
すると、、目を閉じて集中していたら、
なんと部屋に龍がいらっしゃり、
私の座っていた周りをぐるりとしていて、
左側に顔が見えたのです。
ジッと横目で私のことを見ていました。
迫力があったので、正面から見つめられなくて良かったです(やや怖かったので)。
 
凛々しいお顔をしていて、ほんの一瞬念じた時にスッと見えたのですが、目を閉じて集中したからかこの時だけは霊眼で見えたようでした。
 
 
…と、このような体験でパワーストーンに乗ってサポートしてくださる龍がやってくる場合があることを体験した出来事でした。
 
追記:個人的な見え方、感じ方のため、必ずしもブレスレットを買うと龍神様がいらっしゃるとは分かりません。このケースではそのような体験がありました。
 
 
新しいお守りやブレスレットには、自分で念じてから使用するのも、決意や誓いが意識できておすすめです。
そして身につければつけるほど馴染む気がしています。
 
 

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夢で霊とお花見デートした話

皆様、ご訪問ありがとうございます。

夢のお話で、お亡くなりになった御魂とデートをしたお話を書いてみたいと思います。

霊の世界では、良い存在も、アピールしてくる霊も

夢に作用し現象や影響を与える場合があります。それを実体験したので書いてみたいと思います。

 

その場面は、夜、川沿いの土手でした。空は真っ暗というわけではなく、少し青みがかり星がキラキラ輝いています。  

私は土手を歩いていて、傍に誰かがいるのを感じとっていました。

 

私「見てみて、サルスベリの花も満開だねぇ」

 

土手一帯にずーっとサルスベリの並木が続いていて、それはそれは美しい風景でした。サルスベリの花の色が黄色で、

私「もっと色をつけてほしい」

 

と頼むと、

 

男性「沢山つけると汚くなるから」

 

と言われ、周りを見渡すと青色の花もありました。見事に満開で、夢の中でもすごく癒しの時間でした。

場面が変わり、星空を一緒に見ていました。

 

私「星が近くて手で掴めそう!」

 

と様々となりにいる男性に話しかけていました。

※なぜかベタなセリフでした(笑)

 

しばらく一緒にいると感覚的に帰る時間となり、帰らなければならない時間になった!と私は思います。その瞬間、意識が夢から現実に戻り目が覚めたのですが、なんと金縛りにあっていて、

その瞬間に「なるほど!霊とデートしていたのか苦笑」と気付いたのでした。

 

金縛りを解くためにお経を唱えたのですが、さらにズシッと重くなり、最終的に丹田に力を入れたらスッと軽くなりました。

 

こうした体験でしたが、デートを夢で見せる、一緒にデートする心霊は会ったことがなかったので、私としても金縛り以外はそれほど不快ではなく、むしろなんだか切ない気持ちで目覚めたのでした。

 

「デートをしたい」

「デートをしたかった」

もしかしたら、彼にこのような無念さがあったのかもと。思いが果たされたら、天に上がれるような気がしています。

 

これまでは「恐怖感」を感じる霊との関わりがほとんどだったため、すごく珍しいと感じました。この方に関しては、怖くなかったのです。サルスベリに色を追加でお願いしたのはだいぶ無茶ぶりでしたが(笑)。

御霊は「伝えたい思い」があるから出てくる場合が多いようです。

本当は、恐ろしいと感じるものも、その奥底に

 

分かってもらいたい

悲しい思いをした

酷い結果となり怒りがおさまらない

自分の苦しみに気づいてほしい

 

このような気持ちがずっとあり、

「分かってほしい」「伝えたい」

と、アピールしてくる。

 

お亡くなりになる前は私たちと同じ人間だったのです。きっとそんな気持ちの強さにより、現実にも何かしら作用させて出てきているのかと私は捉えています。

 

この例はなんらかの形で私が街中で波長が合い、または御魂から見つけられて、くっついてきて、夢に作用したように思います。

 

こんな御魂もいらっしゃるようです。

 

(とはいえ、私たちはあの世に移行する際は身近な方への挨拶回りが済んだら、油を売らずすぐに上がるのが賢明です。お迎えが来る間は大丈夫ですが、上がれなくなると浮遊霊となりますので(汗)。未練なくスッ!とが理想ですね。)

 

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連綿と続くもの〜気多大社で感じたこと〜

連綿と続くもの気多大社で感じたこと〜

皆様、いつもありがとうございます。御朱印巡りをスタートした兄弟にもゆくゆくは役に立つと良いなと備忘録・思い出として記録しています。

彼は自分も不思議体験をしたり、UFOを小学生の頃に見たりしているのに、不思議話やオカルトは信じない(信じたくない?)タイプです。いつかはこの書き溜めた記事を伝えようと計画的に考えています(笑)。

 

たまにふと思うのですが、神社やお寺がこれほど長く続いているのは、

 

人の心のどこかに神仏を「信じる気持ち」があって、

やっぱり最後のさいごには、

【神や仏などいない!】

【信じるものか!】

と思っていた人でも、どこかふっと神様を信じる気持ちが湧く場面もあるのではないかな?

揺り動かされる場面があるのではないかな?

と感じます。

 

 

それは「奇跡」と呼ばれる体験かもしれないし、どうしても被ってしまった不幸な境遇や辛い体験を通じてから見いだすものかもしれない。

一つの過程として、体験するというような。

 

そして、だからこれほどまで救いや願い、祈りを受け止める場として、神社やお寺が取り壊されたりせずに昔から続いてきているのかもしれないなとふと思うことがありました。

 

やっぱり人が心の中で念じる力は強く、「岩をも通す」じゃないけれど、信念や意思、やり遂げようとチャレンジする姿や己に打ち勝つ姿を神仏は見守っているのかもしれない。

 

と、考える時があります。私はご神霊の声がハッキリバシバシ聞こえるタイプではないので、どんな感じかは判りませんが、 感覚的には、何か静かに見守っていらっしゃるような、

 

「見ていらっしゃる」

 

そんな感覚になる時があります。

 

今まで、各地の神社をお参りした中で特に畏れ多く印象的だった場所が、石川県にある「気多大社」、の中にある「太玉神社」でした。

 

こちらのお社は、鳥居を入りしばらく進んで、確か右側にちょっと入った場所にあるのですが、いつものようにお参りしようと、近づいていき視界にお宮が見えた瞬間、あまりの気の強さに(気多大社だけに(^^))、足を止めてしまった場所でした。 

 

あ、、、

こちらは、、、これほどまでの空気感、、、

この先は進むには、、、と

 

とにかく身体に空気と共に感じる強いご神気に(みえない空気の圧力があるような感じでした)、神様の前に歩を進めることが申し訳なくなるような、鋭い、確かに不浄を祓う強さの空気、ちゃらちゃらした気持ちでお参りしてはならないような、と表現したら伝わるでしょうか、

ちょっと表現するに難しいのですが、とにかくお宮の雰囲気と空気が強かったのです。

 

これは今から10年ほど前のことなので、今の感じがどのような雰囲気かは判らないのですが、とにかくすごい強い気が発せられていまして、

(お参りするには畏れ多い場所のような、、申し訳ありません。)と、

 

顔も真正面に上げて相対することさえ、申し訳ないような、とにかく強いご神気を感じながらのお参りとなり、

歩を進めることさえも、一歩一歩。

(申し訳ありません、失礼致します、

お参りさせて頂きたく、すみません、

失礼致します×ループ)

 

心の中はまさに土下座するかの如く、より丁重に丁重に、なんとか参拝させて頂いた場所でした。

 

ちょっと不思議体験になるかは分かりませんが、思い出して書いてみました。

神仏にはこの気持ちを忘れずに向き合いたいなと思っています。

 

 

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祈りの後に「導き」が現れる例

祈りのあとに「導き」が現れる例

皆様、いつもありがとうございます。

さて、少し不思議な話になりますが、神様や仏様の導きというものがどのようにして暗示されるかを私の体験からご紹介してみたいと思います。

これまで、15年間神仏への参拝で全国各地、神社をメインに気になったところへ参拝してきたのですが、

 

①気になる寺社がでてくる

②そのきっかけは雑誌やテレビ、ブログで見たり、人づてに聞いたり、お守りなどを頂いたりする

③何度も同じキーワードが日常生活の中でやってくる

という流れが起こります。

 

例えば、①②の場合は、何気なく見ていた雑誌やテレビ、ブログなどで画像を通じて寺社が映りますよね。そして、そのあとに何ともいえないような、

 

「!!あの神社へ行きたい!!」

 

という「なんとしても行きたい!」「すごく気になる!!(これが一番ポイントです)」という、ものすごく好奇心やワクワク感、

神様や仏様にお会いしたくなるという気持ちが心の中に湧き上がってきます。

 

また、人づてにそちらの神仏のお守りや旅行に行ったお話を聞いて、「私も行ってみたい!」「気になる!(ここがポイントです)」という衝動にかられます。

 

すると、たいていそのような時は、必要があってそちらの神仏様がご縁で呼んでくださっているか、

または自分がそちらの神仏様がお持ちになるエネルギーを必要として、お参りが必要なタイミングとしてきているかの場合が多いと気づきました。

 

具体的には、「ちょうど未病に近い症状が出始めている」としたら、奈良の医薬担当の薬師如来さまが呼んでくださり(あるいはそちらのお力が必要と感じて)、あれよあれよと「奈良」「薬師寺」に関する番組をたまたま目にしたり、友人から「奈良旅行」のお誘いがかかってすんなり決まる。

 

 

またある時は、自分がとても大好きでご縁を感じている広島の「厳島神社」に、

ちょうど母が参拝に行っていて、たまたま母に電話をしたら「厳島に来ているよ〜!」となり、私がそちらでしか買えないお守りとお札をお願いしたケースもありました。

ちょうど私の状態にリンクしていて厳島の神様のものを必要としていたのです。

 

1例を挙げましたが、このように参拝していると驚くような体験が「まさにそれです!今でしょ!」という感じで何度も起こるので、タイミングの良さといいますか、どうしても神仏のお力が働かなければこれは起こらないだろうというような体験もあり、私としても不思議なのですが信じざるを得ないのです。

振り返るとこのようなパターンが多いことに気づきました。

 

また、近頃のケースでは、(あぁ~しばらく寺社に行けていないなぁ・・・また参拝したいなぁ・・・)と思い、守護霊さんにお祈りをしました。

(守護霊さま、現在なかなか寺社に参拝できておりませんが、どうぞまた再開できたら嬉しいです。もし今後、私に必要なご縁ある寺社がございましたら、どうぞお導き下さい。ぜひよろしくお願いいたします!!)

と何卒~!と祈っていたのです。

 

すると、また面白いのですが、、このお祈りの後にアメーバブログを検索していました。

そこで、出てきたのです。

 

 

とあるブロガーさんが書かれていた寺社のお話が目に留まり、開いて読んでみたら、北海道にある神社がご紹介されていて、

ブロガーさんはそちらの由緒書きなど載せていらっしゃいましたがどちらの神様かは詳しく書かれていなかったのです。

 

、、しかし、私の目があるものに留まりました。

あれ?

ここは、、こちらの神社の神様の紋!!

私が大好きな厳島神社の御神紋だ!!

 

とくぎ付けで(笑)、私が大好きな市杵島姫命様(宗像三貴神様、弁財天様)だ~~!!となりまして、そして写真を眺めていたらエネルギーも画像を通じて感じ取れ、さわさわと身体全体に鳥肌が立つ感覚になりました。

 

※良い鳥肌もあるのでこの場合はそちらのエネルギーをキャッチできている証です。

(鳥肌は心霊が近い場合、怖いエネルギーが来ている時にもぞわっと立ちます。そのような場合私はすぐ立ち去り逃げます!^^;)

 

ご参照 ご本社の広島 厳島神社のホームぺージ 三つ盛り二重亀甲に剣花菱

http://www.itsukushimajinja.jp/index.html

 

とこのような流れから、写真を通じて守護霊さんがお導き下さったんだ!とその後に確信したこともありました。

祈りをしっかり聞き届けてくださり、その内容が必要であればなんらかのサインを通じてお示し下さるという流れがどうやら起こるようです。

これが私の体験で感じてきた祈りの後に導きが起こる例です。

 

補足で、写真からもエネルギーが出ている場合がありますが、体感としては現地でしっかり神仏様の気、土地の気を受けると尚良いというのが大事なことのように感じます。出発から帰宅までが参拝の行のように感じています。

 

しかし、時間や空間の概念がないとあちらの世界に関しては聞いたことがあるので、おそらく何度か足を運んでご縁ができている寺社であれば、祈りが神棚や守護霊さん、ご眷属を通して通じるのではないかなと私は考えております。

 

まさに「光のネットワーク」のようなそんな感覚になるのでした。

 

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現れた光②不思議体験

前回の続きです。

現れた光①

https://sakura888.hatenablog.com/entry/2024/06/09/222902

現れた光②

不思議な光のお話です。

 

 

21歳の頃、授業中、窓の外に光が何度か光っていたのを見てから特に何かが変わったということはなくいつも通り過ごしていました。

が、意識の変化があり、

この世には不思議なことがやっぱりあるんだなぁと確信するようになりました。

 

何故かはわからないけれど

不思議な現象が起きた。

この事実は認めざるを得ませんでした。

 

そして、1週間位経ったある夜。

いつもは自分の部屋で寝ていたのですが、

 

その日は7月なのにスースーと肌寒い夜で、感覚的に一人でいるのがちょっと心細いなぁと何故かその時思い(笑)母が寝ている和室に布団を運び寝たのでした。

 

今思えば、この時点でいつもと

状況が違っていました。

もしかしたら感覚でなんとなく何かを

察知していたのかもしれません。

 

 

そして、そのまま一度寝た私。

夜中に足元が冷えパッと目を醒ましたのです。

すると、目を醒ました瞬間、

 

パァー-!!

 

っとものすごく大きな光が目の前に

あったのです!!

畳1畳分くらいある光です。

 

びっくりして何も考えられませんでした。

 

 

 

一瞬、え?、、何??

と思うと、その光は輝きを強めて、

 

パァーー!!

(ずっと光ってるんです)

 

 

っとしています。

開いた口がふさがらないというか、何が起きているのか判らず、眠気もありそのまま気づいたら寝ていました。

 

 

結局その光の正体はわからず、その日から何かが変わった訳でもなかったのですが、怖さや不安感が湧く存在ではなかったので、もしかしたら波長の良い霊体が

見守ってますよ

と、お伝えしに光となって現れたのかな?と考えました。

 

ちなみに黒い影や黒っぽいのはちょっと気をつけたほうがよい存在と聞いたことがあります。確か怨念があったり想念が重たいという感じの意味でした。

人混みの中で黒い玉がヒュッと一度飛んでいたのを見たこともあったので、現れた光が黒系でなくてよかったです。

 

その光は太陽をもっともーーっと

大きく縦に伸ばした感じだったので

まぶしすぎて目がつぶれるのではないか

と思うくらいの輝きでただただ圧倒された体験でした。

 

 

ということで、見えない世界はあるんだ!と実感した体験でした。

他にも不思議体験を思い出したら書いてみます。

 

 

皆様の日常にも光がさしますように。

お読みいただきありがとうございました。

 

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現れた光①不思議体験

 

読者の皆様、こんばんは。読者登録やいいねボタンもどうもありがとうございます。仕事の合間合間に、有り難く拝受しております。

今回は自分が体験した不思議体験を書いてみます。

現れた光①

それは21歳の7月上旬、大学で友人とドイツ語の授業を受けていた時でした。

 

私は廊下側に座っていたのですが、突然、左目の端にパーッと光るものを捉え、その感覚の方を見ると窓の外に見える木の枝のあたりにバスケットボール大の光が見えたのです。

 

 

はえ!?と、びっくりして顔を戻し、

ドキドキしながら授業に集中。

 

しかし、またパーーッと光が光っていたので、ソッと目で確認しました。

 

(やっぱり、、光ってる!!)

 

私が光を見たのはこの時が初めてでした。

そして、隣にいた友人Oちゃんにもコソッと話しかけ、見てもらうことに。

 

『ねぇねぇ、Oちゃん!あの窓の外にさっきから何か光ってるのが見えるんだけど、見てくれる?!』

 

Oちゃん『え??、、どこ?』

 

『ホラ!あの枝あたり!顔もう少しこっち!』

 

 

と私も正体が判らずOちゃんにも同じ方向を見てもらいました。

 しかし、

 

『えー、、見えないよ(*_*;何~?』

 

 

と言われ、私も変な空気になるのは避けたかったので、そっかー勘違いだったのかなぁとその話は終了させたのでした。

 

その日は不思議な体験だったなぁと、それで終わったのです。しかし、数日後、

また不思議な光が現れる体験をしたのです…!

 

明日に続く

 

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